カイロプラクティックの歴史

事の始まりは1895年 9月18日、D.D. パーマーによって最初の脊柱の「アジャストメント」を受けたハービー・リラード(Harvey Lillard)氏が17年ぶりに聴力を取り戻した事から始まります。

この「アジャストメント」を日本語に訳すと矯正もしくは調節となり、これこそがカイロプラクティック発見の始まりであると言われています。

カイロプラクティック (Chiropractic)という言葉の由来はギリシャ語で、カイロ (Chiro)とは "Chier"=hand 「手」、プラクティック(Practic)とは "Praktikos"=done「なされた」つまり、カイロプラクティックとは「手によってなされた」「手技のよって施された」という意味になります。

「カイロプラクティック」と言う言葉は当時、 D.D. パーマーの患者であり友人でもあった牧師のサムエル・ウィード (Samual H. Weed) 氏によって1896年1月14日に命名された記録があります。

D.D. パーマーのカイロプラクティック人生は 18年という短い期間でありましたが、19世紀後半に発見されたこの療法が21世紀に生きる現在の人類の「健康」への貢献は多大なものではないかと思われます。何事も先駆者の果たす役割は偉大ですね。

そして父、D.D. パーマーによって発見されたカイロプラクティックと、その哲学、科学、芸術は息子B.J. パーマーによってさらに発展をみるようになります。 B.J. パーマーのカリスマ性とその行動はとかく批判の的とされますが、B.J.パーマーの意識は常にユニバーサル・インテリジェンス(宇宙の叡智)という高次元にあり、20世紀の科学力をはるかに越えた所に彼の科学の目は向けられていた様です。

一説によりますと彼は宇宙=エネルギーと考えていた模様です、この事が目に見えない存在を理論にすえた事で誤解を生んだのでは無いでしょうか。

「彼のカイロプラクティックに対するたゆまざる研鑽と追求は他に類を見ないものであり「唯一のサブラクセイションの存在」は「B.J.パーマ−・カイロプラクティック研究所」において実証され、彼が著した30数册にも及ぶグリーン・ブックにもそれが顕著に残されています。

現在のカイロプラクティックの存在は彼なしには決してあり得なかったといっても言い過ぎではないでしょう。彼が没する79歳までの65年間にわたる「唯一のサブラクセイション」の追求は断固として貫かれました。彼は正にカイロプラクティック発展者及び貢献者であり、カイロプラクティックの生みの親であると評しても過言ではないでしょう。

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