昨日、私は誕生日を迎えました
嬉しいやら、悲しいやら 笑
ええ加減年を重ねると、ちょっと受け入れがたい
そんな感じがする部分もありますな 爆
それでも、色々な形で
おめでとうと伝えてくれた方々には
感謝しております。
プレゼント?ですか???
娘が、色紙で折ったブレスレットをくれました
多分、ブレスレットだと思うのですが・・・
で、ここから本題ですが
今日は「変化」とさせて頂いているのですが
私自身、相当変化?成長?進化?した経験を持っているのですが
先月に、7年前程にお付き合いがあった
同じ仕事をされている後輩の方と
電話で話す事があったのですが
彼が突然
「ほんまに先生ですか?」と、つぶやく様に聞いてきました
で、私は
「え?どうしたんですか」と聞くと
彼が
「以前と全く違う話し方で、穏やかに話しているもんで・・・」と
もう、これを聞いて、可笑しいやら悲しいやら 爆
でもね、これは年を重ねたから
穏やかになったと言う見方もありますが
私自身は、そうではないと断言出来ます
なぜなら
そう変わりたかった
もっと詳しく書くと、元々在るべき私自身を表現したかったのです
でもね
外からぶつけられるイメージ、押し付けられるイメージや言葉を鵜呑みにしていて
私自身を、間違って作っていた事に気付いたんですね、これが。
で
それは、一体全体、どこから、そうなったのかを
気付かせてくれたのが
ジェームズレッドフィールド(翻訳 山川鉱矢・ 亜希子ご夫妻)の「聖なる予言」
と言う本に書かれている、コントロールドラマと言う事だったんです。
これには
人は互いのエネルギー(簡単に、気を引くや、注目を浴びるでも良いかと思います)を
奪い合い、そして片方は優越感を得、片方は、言うならば敗北感と自責の念を覚えると
それが元で、人は争いを行っていると
そう書かれていたのです。
私は、強烈な縦社会で育てられました
それこそ、反抗でもするのなら、すぐさま
手が飛んで来て、どこかを殴られます
今でこそ、虐待などと言う便利な言葉がありましたが
当時は、それを躾と称する事が出来たのです
これらを恨んだり、どうのこうのと言っているのではありません
問題は
それらを、私が次世代の人々に繰り返す
これが問題だと思い、そして自信喪失(殴られる事が多いとそうなりますし、反抗心も芽生えます)
の私を取り戻す為に、何回も何回もその本を読み返し
現在の、少々穏やかな私に変化したのです(ちょっとわきまえて書いてます 笑)
でもね
実際は、今ある私が、本来の私に近付いていると
今は実感しています
なので
先に書いた電話の方と、来年話すとしましょう
すると、また変わった(以前と違うと言う意味で)私と
話すことになるのでしょうね
まとめ
人は変わる事が、必ず出来ます
それは進化かも知れないし
元々の私と言う存在を思い出しているかも
と言う事かも? 笑。
知れませんね。
最後まで読んで頂き、ありがとう
追記
大阪在住の方で、書いてある様に
自分自身を取り戻したいとか、変化を希望されるあなたは
どうぞ、私に言って下さい
お手伝い出来る事があると感じるので。
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